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【いのちの車窓から2】感想⇒星野源のことを、もっと好きになる

 

星野源について

出典:星野源オフィシャルサイト

 

それはもう、気持ち悪い位にこの人の事が好きだ。

ルーツ、考え方、生き様、楽曲、芝居、そして、書く文章。

彼の音楽にはその含有されている思想が余すことなく表現されていて、芝居には矜持が見え隠れする。

でも、やはりエッセイを読めば、彼のことがもっともっと好きになることは間違いない。

・・・そう思って数年前に手に取ったのが「いのちの車窓から」だった。

雑誌「ダ・ヴィンチ」に連載中だということは知っていたが、コミック本等と同様、単行本になるのを待っていた。

そして今回、待ちに待った続編が刊行。早速楽天ブックスで注文したのだ。

 

いのちの車窓から2を読んで

星野源が日々の出来事や自らを取り巻く人々、そして自分の内面を綴ったエッセイ・いのちの車窓から(2)。恐縮だが、少しだけ感想を述べさせていただこうと思う。

 

感想① 変わっているようで変らない星野源

「いのちの車窓から」と「いのちの車窓から2」の間での大きな変化と言えば、星野源の立ち位置である。

大まかに言えば、「いのちの車窓から」刊行の際はまだ表舞台に出たての頃からブレイク初期位。いのちの車窓から2に入るとむやみに外を出歩くことも出来ないほどに国民的な人気者になっている。

著者本人は昔と現在(いま)では自分の意識や感覚は別物であると語っている。

そう言ったものはアップデートされるものであり、自分は全く以て変わっていると自覚しているらしい。

確かに年月を追うごとに、星野源を取り巻く環境は変わった。

それはエッセイの内容にも如実に現れている。どこか牧歌的な環境下にいて、自由に行動し呑気に暮らしている中でのエピソードも多かった印象だが、「2」になると海外を飛び回り、交友関係の変化も見て取れるようになる。

内面を綴ったエピソードに関しても、意識が徐々に自らの内に内に向かい意識的に苦しんでいる様が如実に見て取れるようになる。

しかし、物事の捉え方や感覚の本質は、実は大きく変わっていないような気がした。

常に自らの内面と向き合い、何か想定外の事等があっても決して他者の批判をしない。

「好きだ」と述べている周辺の人物たちも他者批判に積極的ではない性質を持っている。

いつもいつの日も答えは常に自分の中にあり、誰かのせいではない。

それが星野源の本質のような気がした。

これは本当に素晴らしいことだと思う。

私達は何か自分にとって不利益なことがあると、ついつい周囲のせいにしてしまいがちである。自らを肯定したい時、それが最も手っ取り早い手段だからだ。

しかし、彼にはそれが全くと言って良いほどない。彼はどんなに国民的な人気者になっても、驚くべきことに全く変わらない本質を抱えているのだ。

 

感想② 生い立ち

①の続きではあるが、エッセイの中では自らの生い立ちについてもそれなりに描写が為されている。

一般的な家庭の中で育ち、幼いころから音楽に触れながら育ったことが分かるが、私が注目したいのは彼が所謂「人気者」として育っていったわけではないという点だ。

いじめに遭っていた過去、明らかなレベルではないにしろ多動症のような症状を患っていたこと(今もなお継続中で、妻・新垣結衣とのこの件に関するエピソードは結構感動した)、心中を打ち明けることのできる友達がいなかった事、女性と初めて交際したのが20歳と決して早くはなかったこと・・・。

いわばその歩みは自らが抱えるコンプレックスとの並走だったと言えるかもしれない。

ちやほやされながら育ち、周囲の人気者だった幼少期を経て国民的な人気者になっていった他の芸能人たち(一部の事であって、押し並べてそう言っているわけではない)とはその辺りの事情が決定的に違う。

星野源の「現在の形」が形成されていった過程にこそ、彼の人間性を語るうえでの「ミソ」があることは間違いないのだ。

ライブで何万人を集め、ゴールデンタイムに放映されるドラマや大ヒット映画の主演を務めるような大物になっても視聴者や周囲の人間に対する態度や接し方、そして自身に対する向き合い方が実にいい意味で特徴的(魅力的)なのだ。

輪(集団)の中に入れなかったり、他者との交わりの中で常に違和感を感じ、上手く生きること(立ち回ること)ができない社会的マイノリティの気持ちを彼はいつも痛いほどわかっているような気がしてならない。

あんなに人気者なのに、それを持ち続けていけることは本当に凄いが、それはその生い立ちとここまで辿ってきた軌跡が故なのかもしれない。

 

感想③ 病気の経験

全編に渡って良く描写されているのが、くも膜下出血の経験である。

ブレイクする直前くらいの時期に星野源はくも膜下出血を経験しているが、それを境に死生観が大きく変化したようだ。

幸運にも現在は殆ど後遺症と言える症状はないように見えるが、生死の境を彷徨い、筆舌にし難いほどの苦痛を味わったことがその後の活動や人間性の形成に大きく影響を及ぼしていることが存分に読み取れる。

くも膜下出血の経験は決して幸運なことではない。それこそここで簡単に述べてしまえるような簡単な出来事ではないが、少なくとも俯瞰してみて、考え方や捉え方、そして演技や楽曲にも深みが出ている感は否めない。

いのちの車窓からでは病気療養から復帰後初ライブの一曲目で「化物」を歌った際のエピソードが描かれているが、「化物」を聴くと療養中の心情や今後へ向けての心持ちが痛いほど伝わってくる。

一見、ポップでアップテンポな明るい楽曲だが、歌詞をよく読むと思わず込みあげてくるものがある程だ。

そして、何か身体に異変が起こった際に「死にたくない」という思いが強くなる様も描かれている。

「生」への執着について、私はどちらかというと否定的な意見を持っている質なのだが、それはきっと生死を彷徨った経験がないからなのだろうと、このエッセイを読んでから思うようになった。

「生への執着」は決して格好悪いことでも醜いことでもない。今はそう思うようになった。

 

感想④ 楽曲について

楽曲について触れたい。

細野晴臣氏の影響を大きく受けていることはエッセイの中で明らかにされており、文字通り「師匠」だと仰いでいる存在のようだ(これは昔から公言していることだから知っていた)。

SAKEROCKでインストバンド活動をしていた星野源だが、細野晴臣氏から勧められて歌い手としての一歩を踏み出すこととなる。

主題からは逸れるが、細野氏が「行きつけの店がある」と言い連れて行って貰った先が全国チェーンのファミレスだったというエピソードがある。

その中で「世界の細野さんが連れて行ってくれる店なのだから、どんな凄いところかと思ったら・・・」というくだりの後、「なんてすごいんだ!」と星野源は感激している。

普通はそういう時、見栄を張るものだ。しかし細野氏は全くそういう感覚を持ち合わせておらず、チェーンのファミレスに連れて行ってくれて「意外といけるんだよ」と言い放つ。そういう部分こそ尊敬に値するのだそうだ。

普通、笑い話のように表現すれば相手を貶めるような内容になる。

しかし全く逆で、そういう出来事に感激できる星野源は本当に素晴らしいなと思ってしまった。こういった感覚こそ彼の真骨頂(であり人間としての最大の魅力)なのではないだろうか。

私は音楽にはそんなに造詣はないので詳しい記述は出来ないが、初期の星野源の楽曲と最近のものは明らかに違う。

元々、先述していたようにインストバンド・SAKEROCKでマリンバを叩き、ギターを弾いていた(因みに楽譜はいまだに読めないらしい)ところから彼のミュージシャンとしての歩みは始まっている。

その後歌い手としての活動を開始していくが、アルバム「STRANGER」まではシンプルでストレートな楽曲が多い印象だ。

転機は恐らく「YELLOW DANCER」で、ブラックミュージックにインスピレーションを受けて「日本人ならではのダンスミュージック」を掲げて楽曲作りを開始する。

細野氏の「YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)」にももちろん影響を受けているが、度々本人が語っているように「日本の歌謡曲」「演歌」もまた日本特有の音楽であり、そこに対しても最大限リスペクトを現わしているという点が素晴らしい。

語弊があるかもしれないが、多くの日本のミュージシャンは本当は歌謡曲や演歌に多大な影響を受けているのにそれを前面に出さない。「ロックだ」「ヒップホップだ」と言ってもその実は歌謡曲っぽい構成なのに。

しかし星野源は違う。歌謡曲や演歌に敬意を払い(公言し)、日本の「サビ」の文化をストレートに取り入れ、その上で自分のルーツでもある海外のダンスミュージックの要素や打ち込みの技法、ソウルやヒップホップの要素も取り込み続けている。

まさしく日本で生まれ、様々な音楽に触れながら育った世代の日本人ならではの音楽を作り続けているのではないかと思っている(これを「イエローミュージック」と銘打っている。「イエロー」は勿論黄色人種であることの矜持の意。あとがきで今現在は若干考え方が変わっている旨を付している)。

因みに私が好きな楽曲を5曲挙げておきたい。

  • 未来

⇒アルバム「エピソード」収録曲で最近はNTTドコモのCMにも採用された。日々の情景と未来への希望を対極的に歌った素晴らしい曲だ。

  • くだらないの中に

⇒星野源にハマるきっかけになった曲。アルバム「エピソード」収録曲。初期の彼らしい独特の感覚の歌詞が好きだ。自らも「初期の代表曲」と公言している。

  • スカート

⇒アルバム「STRANGER」収録曲。STRANGERはアルバム全体が一つの流れになっているような構成が好きで、正直どの曲も同じくらい好きなのだが敢えて一曲挙げるならばスカートが好きだ。マリンバの音も、物悲しく響く歌詞も至極。

  • 桜の森

⇒アルバム「YELLOW DANCER」収録曲。エッセイ内で、「ポップにまで昇華できなかった一曲で心残りはある」と述べられているが、間違いなく転機になった一曲だと思う。ポップまで昇華できなかった、一歩手前くらいの完成度だというのが良くわかる、「媚びなさ」が心地よい一曲で極めて格好良い。

  • KIDS

⇒アルバム「POP VIRUS」収録曲。ラップになっていた可能性もあったらしいが、ある意味最も星野源っぽい曲というか、聴くと彼に関する色々なことが良く理解できるような気がする。そういう意味で一番好きな曲かも知れない。

 

まとめ

 

「いのちの車窓から」という表題の項を以て「いのちの車窓から2」はフィナーレを迎える。

ふと目が覚めた時、身の回りの出来事が全てリセットされて、自分が置かれている状況や意識などが「飛ぶ」瞬間がある。

それからあれこれ考えながら徐々に現実に引き戻されていく。

それまでの間こそが最も自然な自分自身でいられる瞬間。極めて貴重な時間なのである。

自分に置き換えても、偶にそんなことはある。

簡単ではない、複雑な問題に悩まされながら日々を過ごす。

私のような、社会の片隅でこそこそと生きているような小さな存在であってもそうなのだ。

ある程度の期間生きると、生きたいように生きることは許されなくなる。

自らを取り巻く難解な出来事や関係性にがんじがらめに絡めとられ、上手くやり過ごすことも難しくなる。

同じように、全てから逃げ出すことも出来ない。そうしてしまうにはあまりにも色々なことと関わり過ぎてしまっている。

でも、ある時目が覚めると、「自分は今なんだっけ?」と言いたくなるほど頭の中がクリアになる。

布団の中で、じっくりと色々なことを思い出す。意を決して布団から出る時にはすっかり現実に引き戻されて憂鬱な気分になっている。

頭の中は、その日やこれからの一週間、いや、一月間等のスパンでやらなくてはいけないこと、考えなくてはいけないこと等でパンパンに膨れ上がってしまう。

酷いストレスだ。

・・・そんなことを日々味わっているのは自分だけなのかなと思っていた。

少なくとも、そんな風に考えている節はあったことは確かだ。

 

「星野源も同じなんだな」

そう思うと、明日からまた頑張ってみようかなと思える。

最終項の「いのちの車窓から」を読むと、そんな気持ちになれた。

時々ふと、自分自身の在り方を冷静に振り返ると、その浅ましさの余りに悲嘆に暮れてしまうことがある。

苦しくて、悲しくて、いっそのことこの身ごと無くなってしまいたい思いにも駆られる。

でも、踏み出した靴が鳴らす音は昨日とは違う可能性もある。

自分の思うようには生きられない。そんなことは許されない。

確かにそうだ。考えれば考えるほど、そのようにしか思えない。

でも、他の意味の自由ならば見つかられるかもしれない。

それに、浅ましくても一生懸命生きればよいのかもしれない。

勝手ながら、彼の記述を読み考えた末、最後に思い考えたことはそんなことだった。

恐らく星野源の伝えたかったこととは少し意味合いが違うかもしれないが、多分「受け取り方は自由だ」と語っているそのままに考えてくれることだろう。

 

 

星野源「いのちの車窓から」「いのちの車窓から2」はこちらから

 

 

 

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