僕はトイレの際、必ずスマホを持って入る。
いついかなる時も、これに関しては絶対に欠かさない。
何らかの拍子にふと忘れて入ってしまったものならば尋常ではないくらい狼狽する。冷や汗が頬を伝ってしまうほどだ。・・・いや、というか、ほぼほぼ忘れてしまったことはない。
しかし、これにはただ事ではない理由があるのだ。
今まで、僕がトイレに携帯(スマホ)を持ち込むことに関して、その時々のパートナー等から訝しげに思われたことは多々あった。
それは普通の感覚だ。
普通、トイレに携帯(スマホ)を持ち込むことに僕くらい固執すれば、何かしらの事を怪しむのは大いに理解できる。
しかし、これには若い頃のとある出来事に起因しているのである。
今回はそれについて少し回想してみたいと思う。
かなり下らない話ではあるので興味のない方はここで読むのをやめて頂いた方が良いかもしれない。
あと、食事中の方は残念だが必ずここでページを閉じて欲しい・・・。
・・・今から約24年前のある秋の日の事だ。
当時僕は21歳だった。
大学3年生だったのだが、カリキュラムはびっしりでそれ相応に多忙な日々だった。
その上丁度免許を取りに自動車学校に通っており、学校の講義やアルバイトの合間を縫ってスケジュールを入れていた。
猶更多忙だったと思う。
若かったから体力・気力は充実していたと思うし、疲労が溜まっている自覚はそんなになかった。
その日もいいリズムで、自動車学校の帰り道、自転車のペダルを漕いでいたと思う。
夕方18時頃に1人暮らしをしていたアパートに帰り、軽い夕食を作って食べた。
・・・作ったと言っても、当時は極々簡単な物しかできなかった。チャーハンか何かだったと思う。それとカップラーメンを食べた(よく何を食べたかまで覚えているものだ)。
お風呂を溜めて入り、その後はTVを視ながら暫くゆっくりしていた。
40代になった現在は21時から22時の間に就寝する僕だが、当時はいつも床に就くのは夜中の2時くらいというのが普通だった。今考えるとその差に我ながら驚いてしまう。
TVを視ながらファッション雑誌(明確には覚えていないがその当時だから多分BoonかSmartあたりだろうと思う)をペラペラ捲っていると少し眠くなってきた。
時計を見ると丁度2時くらいだった。
洗面所でコンタクトレンズを取って歯磨きをする。その後就寝した。
・・・異変が起こったのは、就寝してから1時間ほど経った午前3時くらいだった。
猛烈な腹痛に襲われた。気が遠くなるような痛みだ。
それと同時に、急激にもよおす。
若干の時間差の後に、自身の凄まじい体熱感に気付いた。
・・・これは尋常ではない・・・。
自らの身体に何らかの異変が起こっていることは間違いない。
そう気付きながらもとりあえずトイレに行かなくてはいけない。
・・・身体が上手く動かない。極めて酷い頭痛と寒気も生じていた。
体全体がガタガタ震えるけれども、兎に角トイレに行かなくてはいけない。このままではその場に失禁してしまう。
それだけは避けたい。
トイレはそんなに遠くはない。六畳一間の居間のすぐ隣にある。通常時ならベッドからほんの3~4歩程度の位置だ。
立ち上がることが出来ないので、ベッドからゆっくり手を伸ばし四つ這いの姿勢になって、そのままゆっくりと歩を進めた。
やっとのことでトイレに辿り着く。徐(おもむろ)に下衣を下ろし便座に腰かける。
腰かけた瞬間に今まで体験したことのない勢いで形のない排泄物が体外に流出した。
それと同時に頭の先からスーッと血の気が引いていくのが分かった。
自然と項垂れる。
次に襲ってきたのは激しい嘔気だ。
まだ下の方からは絶え間なく形のない排泄物が流出し続けているので、今嘔吐するわけにはいかない。
こんな時でも、トイレのフロアを汚したくないという意識を持っていたのだ。
暫くして収まるのを待ち、ここぞというタイミングを見計らって床に座り振り返る。今度は便器の中に激しく嘔吐した。
・・・いったい何が起こっているのだろう・・・。
しかし、思考を整理する暇がない。
便意と嘔気が順繰りに襲ってきて、頭は重く息はきれている(今となっては血圧が急激に降下したのだと分かるが、当時は理解できていなかった)。
20分くらいそれを繰り返してから、「救急外来に行かなくてはいけない」と察知した。
夜中の3時だ。友達など、助けてくれそうな者に連絡をするのは流石に憚られた。
119番だ・・・。
その時、僕は気付いてしまった。
・・・手元に携帯電話がないのである。
携帯電話は・・・
部屋の、ベッドとは反対方向にあるテレビの横で充電器に繋がっている。
トイレから出て、そこまで行かないといけない。
・・・トイレから出るのは不可能のように思えた。
これを考えている最中も上下から出る物は相変わらず止めどない。
トイレから離れたら、どうなってしまうのか分かったものではない。
結局、30分ほどタイミングを見計らい、それから四つ這いの姿勢でやっとのことで携帯電話を取りに行くことが出来た。
救急車を呼んだあと、トイレに戻る前に体温計を取り検温すると、40度以上の発熱があっていたことが分かった。
・・・死ぬかもしれない・・・。
大袈裟のように聞こえるかもしれないが、本気でそう思った。
人間、一人でいると意外と簡単にそんな心境に陥ってしまうものだ。
いや、トイレの中で起きた出来事はそのくらい壮絶だったのだ。
体の中の物が、上下双方から全て出尽くしてしまい、最早元々の構成物のみの存在に成ってしまったような感覚だった。
結局、すぐ傍の病院に運ばれた僕はそこの救急外来で診察を受け、急性ウィルス性腸炎の診断を受けた。
自覚はなかったが、恐らく多忙な毎日の中で体力が低下していたところにウィルス感染したのだろうということだった。
採血の結果急激な脱水を起こしていたこともあり、入院になった。
病室に入ると看護師さんが来て解熱剤を入れる旨を伝えてきた。
即効性が期待される坐薬(肛門から挿入するタイプのもの)だったのだが、「自分で出来ますか?」と言われた。
同じ歳くらいの看護師さんだったこともあり、肛門を直(じか)に見られ坐薬を挿入されるのは極めて恥ずかしかったが、倦怠感が強く意識もやや朦朧としていたので、とても自分でそんな動作が出来る気がしなかった。無念だったが、ゆっくりと首を横に振った。
「ハイハイ」と言うと、看護師さんは慣れた手つきでサッと済ますことを済ませ、「何かあったらコールしてくださいね」と言い残し退室していった。
元々発熱して紅潮してはいただろうが、結局赤らんだのは僕の顔だけだったのだ。
何故こんな話を挟んだのかというと、この時の看護師は実は10年後くらいに偶然とあるセミナー会場でばったり再会し、何人か別の人が周りにいる前で・・・
「私、昔YMさんが入院した時に肛門に坐薬を入れたことがあるんですよ~」と言ったのである。
周りにいた人たちは若干引きつりながら、しかし少しにやけてもいた。
その時の私の恥ずかしさと言ったら筆舌にし難いほどであり・・・。
守秘義務は守って欲しいと切に思ったものだ・・・。
その時の私の顔は、救急搬送されたあの日以上に紅潮していたものだと思う。
チクショー!覚えてろよー(泣)!
閑話休題
これもまた至らない話ではあるが、翌々日に友達に連絡して煙草を買って持ってきてもらった。
点滴と内服治療で随分気分も良くなり、熱も下がった。食事も幾らか入るようになるほど回復していった。
そうすると、タバコが吸いたくて吸いたくて仕方なくなってくるのだ。
僕は特に酷い煙草中毒に陥っていた。因みにそれは現在もあまり変わらない・・・。
問題は、入院した病院は全館禁煙だということである。
しかし、吸いたくて吸いたくて仕方なかった為、ナースステーションとは反対側にあるトイレに行き一服した。
・・・その時の煙草の味は今も覚えているかもしれないくらい美味かった。
その後看護師長さんから消えてなくなる程厳しく叱られたことは言うまでもない・・・。
当時僕は金髪だったのだが、「見た目通りの不良ね!」と言われたのをよく覚えている(別に不良というわけではないのだが・・・)。
逃げようと思って腹痛が再発したふりをしたけれど「そういうのは看護師に通用しません!全部(症状は)分かっているんだから!」と。
・・・全く以てごもっともだ・・・。
凄く良い看護師長さんだったと思う。
2日後、症状が改善し無事退院となった。退院時に体重が何と5㎏も減少していたので、改めてかなり酷い腸炎だったのだろうと思ったものだ。
というわけで、それからというもののトイレに入る際には必ず携帯電話(現在ではスマホ)を持って入るのが習慣になった。
もしも何か起こったらと思うと心配でたまらないのだ。まさしくこれこそがトラウマというやつなのだろう。
当時の出来事で、どの下りが最も辛かったかというと、やはり這う這うの体で部屋に携帯を取りに行った場面なのである。
スマホをトイレに持ち込むと、極めて汚い大量の細菌が付着するというのは分かっている。なので消毒は欠かしていないことは付け加えておこう。
というわけで、今回はとりとめのない、大して面白くもないような僕の青春の苦い思い出を語ってしまった。
もしも最後まで読んで頂いた方がおられるなら、心からお詫びしたい。
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