- ①アディダスとプーマが出来たのは兄弟喧嘩が発端
- ②ナイキの誕生にはオニツカタイガーが関わっている
- ③世界初の男性用腕時計はカルティエのサントス
- ④ジャックパーセルはコンバースが開発したものではない
- ⑤ユニクロは野菜を販売していたことがある
- ⑥「チノパン」の「チノ」はチャイナ(中国)の意味
- ⑦坂本龍馬の履いていたブーツは外国人居留地で購入した(説が有力)
- ⑧板垣退助はルイ・ヴィトンの顧客だった
- ⑨ジーショックは実際にトレーラーに轢かせてそのタフさを証明した
- ⑩カーゴパンツを普段着にしたのはバナナリパブリックとGAP
- まとめ
ファッションにまつわる様々な雑学をあなたに
今回は私の知っているファッションにまつわる雑学を(適当に?)集めたので羅列したいと思います。案外面白いので是非軽い気持ちで読んでみてください。
これまで当ブログの中で登場したものも含んでおり重複する部分もありますがどうぞ。
①アディダスとプーマが出来たのは兄弟喧嘩が発端

ファッション等に関する雑学と銘打つと、これはやはり真っ先に述べないといけないと思うのは私だけではない筈。
アディダスとプーマは元は同じ会社(ダスラー兄弟商会)で、(恐らく表面化していない部分でもいろいろあったのでしょうが)簡単に言えば兄弟間の深刻な対立により(第二次世界大戦後に)解散・閉業します。

出典:ウィキペディア
兄のルドルフはPUMA(プーマ)を、弟のアドルフはadidas(アディダス)を設立します。因みに兄のルドルフは営業マンで弟のアドルフは職人。現在で言えばアディダスの方がプロモーション上手な印象があるので面白い話ではありますよね(プーマは中国企業の支援を色濃く受けています)。現在も両社の本社はドイツ・バイエルン州の小さな街の川を挟んで至近距離で向かい合っています。
このドラマは映画化されてもおり(アディダスVSプーマ 運命を分けた兄弟)世界的にも極めて有名な雑学として知られています。
②ナイキの誕生にはオニツカタイガーが関わっている

出典:ウィキペディア
これも当ブログでは既出の話ですが、ナイキとオニツカタイガーの両社も只ならぬ関係性を持っています。
ナイキ創業者のフィル・ナイトは大学の卒業旅行で日本に立ち寄った際にオニツカタイガーのシューズの高機能ぶりと品質に感銘を受けオニツカ社に連絡を取り、アメリカでの代理店契約を嘆願しました。
オニツカの創業者にして当時の最高責任者だった鬼塚喜八郎は裸一貫で事業を始めたいと申し出てきた(どこの馬の骨ともわからない)アメリカ人青年の心意気に打たれ、思い切って申し出を受けることに。
こうしてオニツカタイガー初の海外代理店はフィル・ナイトとビル・バウマーマンが設立したBR(ブルーリボン)社が担うことになります。
その後両社の蜜月関係は暫く続きますが、委託契約解消後にBRは福岡のアサヒコーポレーションに製造委託し自社ブランド「NIKE」のシューズを発売し(これってある意味背信行為にも近いですよね。少なくとも不義理と取られても仕方がない)、オニツカとBRの提携中にバウアーマンのアイデアで開発された「タイガーコルテッツ」とNIKEが後に発表した「コルテッツ」の関係性で訴訟問題に発展するなど何とも後味の悪い幕切れとなってしまいます。
鬼塚喜八郎はNIKEのアメリカンドライな態度、ビジネスライクな感覚に裏切られた気がしたと独白していますが、現在世界ナンバーワンスポーツメーカーとして君臨しているナイキの出自にオニツカが深く関与していたことは忘れてはいけない事実だと思います。
③世界初の男性用腕時計はカルティエのサントス

出典:ウィキペディア
腕時計もまた、歴史の紐解き甲斐のある分野ですが、元々は女性用の宝飾時計が発祥との事で(ブレゲがナポリ王妃の為に制作した宝飾時計)、初めて量産されたのはジラール・ペルゴ(ドイツ海軍将校の為に懐中時計を腕に巻くベルトを付属させたもの)だったりします。
現代の腕時計の原型といえる男性用実用腕時計を初めて開発・発表したのは意外にもカルティエ。1904年にルイ・カルティエが友人の飛行家・アルベルト・サントス・デュモンの為に製作したと言われています。
飛行機の操縦時に視認性の高い時計が欲しいとの要望に応えたものなので、つまりサントスはパイロットウォッチに分類されるという事に。現代ではサントスが欲しくない男性等もしかしたら存在しないのではないかと思うほど誰しもの注目を集める人気高級腕時計であるサントス。ルーツを知ると益々欲しくなりますね。因みに私も何か一本高級時計を手に入れるとしたらサントスが欲しい今日この頃です。
④ジャックパーセルはコンバースが開発したものではない

出典:楽天
コンバースの中でもオールスター(CT70)と並ぶ名作であるジャックパーセル。
しかし、実はコンバースが開発したものではありません。
1932年に伝説的バドミントン世界王者・ジョン・エドワード・ジャック・パーセルがアメリカのスポーツメーカー・スポルディング社と共同で開発したもの。その後1935年にゴム製造会社であるBFグッドリッチ社に開発が引き継がれ市場に登場する事となります。
ところがBFグッドリッチ社は経営難に陥り身売りの道を歩むことに。コンバースはBFグッドリッチ社の買収を試みますが、アメリカ政府はラバーソールのキャンバスシューズの市場に於いて両社が合わさる事が独占販売禁止法に抵触するとして待ったを掛けます。
コンバースはグッドリッチ社の買収を諦めますが、その中でもジャックパーセルだけは死守。製造・販売権を獲得します。それだけコンバースにとってジャックパーセルの存在は大きく、極めて魅力的だったという事なのでした。
コンバースの名品として語られることの多いジャックパーセルですがこのような複雑な経緯を持っている事は案外知られていない事実なのではないでしょうか。
因みにグッドリッチ社の主力の一つにはあのPFフライヤーズも存在していました(懐かしい)。
⑤ユニクロは野菜を販売していたことがある

今や日本が世界に誇るグローバル・アパレル企業であるユニクロ。
ユニクロっていつから「ダサい」を脱却してオシャレなグローバルブランドになったの? - YMのメンズファッションリサーチ
如何に「ダサい」を脱却してここまで大きくなったかをこちらの記事で端的にまとめているので是非お読みいただきたいのですが、たいていの方々は運営会社・ファーストリテイリングの順風満帆さに疑いの余地は無い筈です。
しかし、2001年ユニクロは「SKIP]と銘打った野菜生産販売事業に進出し大コケしています。当時やや停滞気味だった業績を打破しようという一手だったとの事ですが、社内でまことしやかに囁かれていた無謀説が見事に的中し大損益を計上。あえなく失敗に終わります。
難しかったのはクオリティコントロール、安定的な商品提供体制の構築など様々な要素だったようですが、2004年に26億円の特別損失を計上し、設立した別会社は解散となりました。
最近ユニクロは花の販売を行っていますが、こちらは上手く行っているのでしょうか(一度買ってみたいと思っているところです)。気になる所です。
⑥「チノパン」の「チノ」はチャイナ(中国)の意味

出典:JAM公式
私達の普段着としてかなりポピュラーな存在であるチノパン。
その起源がミリタリー(軍物)という事は結構知られていると思います。
1846年にインド駐留中だった英国軍は、自軍の軍服のカラーリングがホワイトだったことに違和感を感じていました。敵から目立ってしまうし、戦闘で出血した際に血の色も鮮やかに沁みてしまう。
連隊長のハリー・ラムズデン卿はカレー粉(インドだからか?)、コーヒー、桑の実を混ぜた汁でミリタリーユニフォームを染め上げます。これがその後軍に正式採用されました。
英国軍で生まれたカーキ色のズボンは英・マンチェスターで大量生産されるようになり、余剰品は海を渡り中国に輸出され、後にフィリピンを統治することになったアメリカ軍の元に納入されることに。「チノ」はスペイン語でチャイナ(中国)という意味で(フィリピンは元々スペインの統治下だった)、アメリカ軍から「中国から来たクロス(布)でできたズボン⇒チノパンツ」と呼ばれたというわけです。
やや複雑な経緯ですが、現代では定番の普段着であるチノパンにこんな背景があるなんて面白いですよね。
⑦坂本龍馬の履いていたブーツは外国人居留地で購入した(説が有力)

出典:坂本龍馬記念館HP
余りにも有名な、この坂本龍馬の写真。
そして、この写真で話のタネになることの一つは龍馬が履いているサイドゴアブーツ(チェルシーブーツ)ですよね。
龍馬はその功績の信憑性に確実性が欠如していることから教科書から消えそうになったりと(逆に言えばそれだけ司馬遼太郎先生の功績、影響力が多大という事の証明でもある)、その人気とは裏腹にいまだ謎の多い人物ではあるようですが、先見の明がありモダンな感覚の持ち主だったことは間違いなく(偉業自体の信憑性は疑われても当時としてはずば抜けたビジネスマインドを備えていたことは多くの専門家が証明しています)、この時代にチェルシーブーツを(恐らく)愛用していた事実もまた、彼のアヴァンギャルド(前衛的)な人間性を証明しているのではないかと感じずにはいられません。
ところでこのブーツ、どこで手に入れたものなのか。というのが今回のお話になるわけですが、イギリス製のものであることは確かなようで、長崎の外国人居留地にあった「トンプソン靴店」で購入した説が有力なようです。
他には写真館の備品だった説(これは信じたくない)、(グラバー園の)トーマス・グラバーから譲ってもらった説等も囁かれています。個人的にはトンプソン靴店で購入した説を推したい気持ちでいますがどうでしょうか。
⑧板垣退助はルイ・ヴィトンの顧客だった

出典:幕末探訪
「板垣死すとも自由は死せず」
1882年、政府から下野した後自由民権運動に身を投じていた板垣退助が暴漢に襲われ重傷を負った際に生まれた名言です。
最近の研究では、事前に暴漢に襲われることを察知していた板垣(若しくはその側近)が練って準備していたのではないかとも言われたり言われなかったり・・・ですが(仕込んだとまでは行かなくとも、ある程度想定していたという意)、板垣退助といえば幕末から明治・大正にかけての偉人の一人であることは間違いありません(幕末に甲州で新選組に事実上のとどめを刺したのが新政府軍参謀の板垣でした。新選組ファンなので昔は板垣がやや憎たらしかったです)。

出典:幕末探訪
そんな板垣退助ですが、ヨーロッパへ外遊した際フランスのパリでルイ・ヴィトンのトランクを購入したという話もまた有名です。
当時のヴィトンのトランクは全てオーダーメイド。実際の写真にも「ITAGAKI」の文字が見えます。日本で現存が確認されているもので最古との事で現在も貴重な資料として保存されているとの事。
板垣退助はかなり身なりに気を遣う洒落者だったとの逸話も多いですが、ヴィトンの話を聞くとそれも納得ですよね。
⑨ジーショックは実際にトレーラーに轢かせてそのタフさを証明した

出典:楽天
G-SHOCK(ジーショック)5600の人気は不滅!永遠の定番モデルを徹底解説! - YMのメンズファッションリサーチ
過去にオリジナルG-SHOCKのお話を記事にしましたが、ジーショックと言えば「ゾウに踏まれても壊れない」という強烈すぎるキャッチフレーズで業界内に新風を巻き起こした革命的腕時計です。
・・・実際にゾウに踏ませたのか?
(ちょっぴり)残念ながらゾウに踏ませた事実はありませんが、カシオの開発チームはロサンゼルスの砂漠地帯に広がる牧場で地面に置いたG-SHOCKを22M長のトレーラートラックに踏ませるという狂気じみた実験を行っています(何故ロス郊外の砂漠地帯の牧場である必要があったのかはちょっぴり謎)。
結果は傷一つなし。変わらず正確に時を刻んでいるG-SHOCKがそこにありました。因みに、逆にこの際のトレーラーは時計の上を走った世界最長の車輛としてギネスブックに掲載されているらしいです(競合がいなさそうにも程がある)。
まったく、カシオの開発チームのぶっ飛び加減には感服するばかり。いまだ世界的人気を堅持しているG-SHOCK。このくらい型破りな感覚がないとそういった成功は得られないのかもしれませんね。
⑩カーゴパンツを普段着にしたのはバナナリパブリックとGAP

ルーツが軍物であることが比較的わかりやすいアイテムと言えるカーゴパンツ。
その通りで元々サイドポケットに装備用品等を入れて移動する便利な軍物だったわけですが、それが現代で私達の身近な存在となっている背景にはアメリカのバナナ・リパブリックとギャップ(GAP)が深くかかわっています。
今でこそアメリカ発のややコンサバ寄りなショップという印象のバナリパですが、創業当初は軍の放出品を仕入れ、店頭に並べて販売する小売店でした。
そこにカーゴパンツを並べていたわけですがこれがスマッシュヒット。瞬く間にバナリパの定番商品となりました。
時は経ち経営難になったバナリパを買収したのがGAP(ギャップ)。GAPがカーゴパンツの販売を継承することでアメリカ全土に認知が拡がり一斉に汎化されたというわけです。
ルーツは知っていてもそれがマスに降りるまでの経緯はあまり知られておらず、なかなか面白い話なのではないかと思いました。
まとめ

如何だったでしょうか。
ファッションという括りの中でも「トリビア」は山ほど存在しています。
是非何か話のタネにでもしてみて欲しいですし、自分の持ち物や家族や友達等の持ち物を見てニヤニヤするのも良いですね。
またその内やりたい企画なので興味があればお越しください。
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