- 忙しい年の瀬に、ファッション豆知識をあなたへ
- ①H&Mの前身は釣具屋だった
- ②ナイキの始まりはオニツカタイガー製品販売だった
- ③エディー・バウアーは来年(2022年)から日本で買えなくなる
- ④「背広」の語源は英国のサヴィル・ロウ
- ⑤プーマとアディダスは元は同じ会社で、兄弟喧嘩の末二つに分かれ、今も両社の本社は小さな村の川を隔てて向かい合って建っている
- 知っていても知らなくてもそんなに影響は無いけれど・・・
忙しい年の瀬に、ファッション豆知識をあなたへ
普段私たちが何気なく身に着けているものには深い歴史があり、中には知れば面白いものもたくさんあったりします。
洋服に関する歴史は古いので、そういった類のものは数え切れないほど存在していますが、今回は出来るだけ私たちの身近にあるものを集めてみました。
明日から職場での雑談の中で、家族やお友達との談笑の中で、ちょっぴりドヤれるかもしれないファッショントリビアを5つほどご紹介いたします。
①H&Mの前身は釣具屋だった
2008年に日本に上陸し一大旋風を巻き起こしたファストファッション界の雄、H&M。ユニクロやGUのファーストリテイリング勢に続く知名度の高い北欧スウェーデン発のショップです。
そのH&Mですが、スタートは婦人服を取り扱うアパレルショップ。その後事業拡大を重ねる中でスウェーデン、ストックホルムの釣り具・狩猟用品の会社を吸収合併します。
この合併によって婦人服のみの取り扱いから紳士服、子供服の取り扱いへとつながっていったそうです。
つまり、H&Mが現在の姿となったのは釣り具・狩猟用品店の要素が大きいとも言えますね。
H&Mに行ったら、店員さんに「元は釣具屋さんだったんでしょう」と言ってみてください。迷惑がられることは必至です(笑)
②ナイキの始まりはオニツカタイガー製品販売だった
当ブログの初期の記事でご紹介したのですが、改めて。
日本が誇る総合スポーツメーカー「asics(アシックス)」。その前身はオニツカタイガーです。オニツカタイガー創始者の鬼塚喜八郎は日本のスポーツメーカー史に間違いなくその名を刻む偉大な人物。そして、世界一のスポーツメーカーである「ナイキ」の創設に大きく関わっていたのです。
出典:ナイキ創った「ダメ男」、フィル・ナイトの魅力 | 専門店・ブランド・消費財 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース
時は1962年。当時オニツカタイガーは情勢も上向きなまま東京オリンピックを控えた大事な時期。そんな時、のちのナイキの創業者の一人であるアメリカ人、フィル・ナイトは日本を旅行中に出会ったオニツカタイガーのシューズに心を奪われます。
喜八郎に直談判し、アメリカ西部での販売代理店契約を締結。
喜八郎はのちに日経新聞のインタビューで、「自分の若いころと重なった。思い切ってやらせてみようと思った」と語っています。つまり、このいささかぶしつけな若者にその深い懐を見せたということなのです。
ナイトはアメリカに帰国後ビル・バウワーマンとともに「ブルーリボンスポーツ(BRS)社」を設立。これがナイキの原型となるカンパニーです。
その後、両者の思惑のすれ違いなどからBRSはオニツカから独立、「NIKE」が誕生するのです。
歴史に「もしも」は禁物ですが、喜八郎が得体のしれないアメリカ人の直談判を取り合わなければ、ナイキは誕生していなかったかもしれません。
どうでしょう。少しロマンティックな話でもあります。
いずれにせよ、日本人はアシックスと鬼塚喜八郎を、もっともっと誇りに思うべきかもしれません。
因みに、ブルーリボンスポーツ社がナイロン素材のシューズ製造をオニツカタイガーに依頼するも諸事情により叶わず、それを受けてオニツカタイガーの「タイガーコルテッツ」というモデルを独自製造しナイキのスウォッシュマークを縫い付けて販売したものがナイキの名作「コルテッツ」です。
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ナイキの「始まりの靴」はこのコルテッツというわけです。私も学生時代に通学用で履いてました。最近復刻されませんがそろそろ恋しくなってくる頃かも。
オニツカタイガーと鬼塚喜八郎がいなければナイキもコルテッツも現在のような形ではなかったかもしれませんね。
③エディー・バウアーは来年(2022年)から日本で買えなくなる
出典:来年から日本では買えない! 1920年創業、米アウトドア界の名門エディー・バウアー|Pen Online (pen-online.jp)
エディー・バウアー、ご存知でしょうか。
1920年創業の古き良きアメリカを体現する名門ファッションブランドです。
アメリカ初のダウンジャケット「スカイライナー」は特許も取得している名品。他にも残した功績は数知れず。服好きは勿論、そうでなくとも名前くらいは聞いたことがあるかもしれませんね。
しれっとショッピングモールに専門店が入っていたり、古着屋でもパタゴニアやLLビーン等のアメリカものに紛れて陳列されていたりします。
そのエディー・バウアーが2021年12月までに日本市場から撤退とのニュースが。なんとも寂しい思いです。
特におじさん世代には根強い人気があったのではと思いますが、押し寄せる時代の波に押し出されたのでしょうか。
来年からは買いたくても買えなくなるエディー・バウアー。もしも「あっ」と思った方は急いでください!
④「背広」の語源は英国のサヴィル・ロウ
出典:【紳士服の街】英国サヴィル・ロウを巡る小さな旅 – 大人になれる本
サヴィル・ロウはロンドン中心部のメイフェアにある通りの名称です。オーダーメイドの名門紳士服店が軒を連ねている世界最高峰の紳士服のメッカ。
因みにオーダーメイドのことを「ビスポーク」といいますが、これは客側が要望を発することが出来る、つまり「Be Spoke(ビー・スポーク)」から来ています。
日本の「背広」は「サヴィル・ロウ」が訛って「セビルルオウ」「セビロ」「背広」となった説が有力。
ただし、現在の型のスーツが流通するまで日本で使用されていたモーニングコート等と比較して背中のパーツが広いから「背広」と言われるようになったという説もあり、100%の確定的真相は分かりません。
でも個人的には「サヴィル・ロウ説」が好きです(笑)
⑤プーマとアディダスは元は同じ会社で、兄弟喧嘩の末二つに分かれ、今も両社の本社は小さな村の川を隔てて向かい合って建っている
1920年、ドイツのバイエルン州の小さな村で「ダスラー兄弟社」は誕生します。
兄のルドルフ・ダスラーは営業マン。
弟のアドルフ・ダスラーは靴職人。
2人の兄弟は手を取り合い、心を合わせ、永劫続く高名なスポーツメーカーを経営し続けたのでした・・・等という事はなく(笑)
この2人の壮絶な兄弟喧嘩は、後のプーマとアディダスという世界的なマンモス企業を誕生させ、今もなお凌ぎを削っているのです。
ナチスドイツの関与が歴史的に非常に有名な1936年のベルリンオリンピックを契機に二人の経営方針や物事に対する考え方は分化し、第二次世界大戦後遂にその確執は修復不可能に。
2人は袂を分かち別々の会社を設立します。
兄のルドルフは自社の持ち株を弟に売却した資金で「PUMA(プーマ)」を設立。弟のアドルフはダスラー兄弟社を「アディダス」と改名しました。
出典:世界を変えてしまった親子ケンカ・兄弟ケンカ(後編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-
現在は両社はダスラー家の手を離れているそうですが、今もプーマ、アディダスの本社はバイエルン州の小さな村の川を隔てた両側に位置しているそうです。
両社の社員はそれぞれ川の向こう側へは滅多なことがない限り行くことがないそうで、未だにダスラー兄弟の世紀を経た喧嘩は少なからず町の情勢に関係していると言えそうですね。
両社に分かれた直後では、ドイツの人々がプーマ派とアディダス派で真っ二つに別れていた時代もあったそうですよ。
あなたはプーマ派ですか?それともアディダス派ですか?
知っていても知らなくてもそんなに影響は無いけれど・・・
出典:ナイキとオニツカタイガーの知られざる関係とは? | メンズファッションメディア OTOKOMAE / 男前研究所
いかがだったでしょうか。
生きていく上で、何の役にも立たない無駄知識、しかし、つい人に教えたくなってしまうようなトリビア(ちょっと古いかな・・・)。
ふとした時に、誰かに話してみて下さい。
「フーン」で済まされて肩透かしを食らっても、責任は負いません(笑)