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当ブログではメンズファッションを語る上で欠かすことのできない偉人を不定期でご紹介していきます。
記念すべき第一回は
鬼塚喜八郎
日本人ならば誰もが知っているシューズメーカー
「asics」の創業者。
鬼塚喜八郎は、
「NIKE]「adidas」「PUMA」という世界の3大スポーツメーカーとも深い繋がりがあるのです。
そして何よりもあのasicsを一から創りあげた日本の誇る世界が認める偉人!
今回はその詳細に迫っていきます。
義理と人情で養子に
喜八郎は1918年(大正7年)
鳥取県で農業を営む坂口家に3男2女の末っ子として生を受けます。
あれ?坂口?
そう。坂口なのです。
青年時代は出征し姫路に配属されます。この頃世話になった上官に上田中尉という人がいたのですが、この上田中尉、養子縁組の予定があり、その相手が鬼塚家だったのです。
やがて上田中尉はビルマ戦線に参加することになり、その際
「自分に何かあったら鬼塚夫妻のことをよろしく頼む」
と、喜八郎に言い渡します(喜八郎は留守部隊だった)。
上田中尉はビルマで戦死。
喜八郎は上田中尉との約束を果たすため終戦後鬼塚家と養子縁組を果たします。
オニツカタイガー、そしてasicsへ
鬼塚家は商売をしていたのですが、喜八郎は早い段階でフェードアウト。何をしようかと思案に明け暮れているときに、兵庫県の教育委員会に所属していた堀公平という人から
「健全な精神は健全な肉体に宿る」
と言葉を投げられました。
これはのちのasicsのスローガンとなります。
この言葉に促され、喜八郎はスポーツに心身を費やす覚悟を決めます。
その後兵庫県の小中学校や警察に靴を配給する個人事業を始め、1949年には「鬼塚株式会社」を設立。 社長に就任します。社員4名からの船出でした。
鬼塚株式会社は紆余曲折を経て徐々に頭角を現していき、シューズブランド
「オニツカタイガー」を立ち上げます。
もっとも俊敏で強い、それは虎だ!
と言ったとか言わなかったとか・・・
1964年の東京オリンピックではオニツカのシューズを履いた選手が多数のメダルを獲得するなどし、一躍オニツカの名は世界中に轟きます。翌年にはその勢いをかって株式上場。
1974年には他社との合併を経て株式会社asicsとなります。
2007年に亡くなるまでここでは語り切れないほどの功績を残しました。
NIKEとの意外な関係
世界一のスポーツブランドは?
殆どの人がNIKEだと答えるでしょう。
世界一のモンスタースポーツカンパニー「NIKE」。
そのナイキは鬼塚喜八郎と深い深い繋がりがあるのです。
時は1962年。オニツカタイガーはブランドの状態も上向きで東京オリンピックを控えた大事な時期。
のちのナイキの創業者の一人であるアメリカ人、フィル・ナイトは日本を旅行中に出会ったオニツカタイガーのシューズに心を奪われます。
喜八郎に直談判し、アメリカ西部での販売代理店契約を締結。
喜八郎はのちに日経新聞のインタビューで、「自分の若いころと重なった。思い切ってやらせてみようと思った」と語っています。つまり、このいささかぶしつけな若者にその深い懐を見せたということなのです。
ナイトはアメリカに帰国後ビル・バウワーマンとともに「ブルーリボンスポーツ(BRS)社」を設立。これがナイキの原型となるカンパニーです。
その後、両者の思惑のすれ違いなどからBRSはオニツカから独立。
「NIKE」が誕生するのです。
歴史に「もしも」は禁物ですが、喜八郎が得体のしれないアメリカ人の直談判を取り合わなければ、ナイキは誕生していなかったかもしれません。
adidasとPUMAの兄弟喧嘩を仲裁
アディダスとプーマが元は同じ会社で、兄弟で運営していて、兄弟喧嘩の末に分裂してできたものというのは結構有名な話です。
また詳しく紹介したいので詳細は記しませんが、この兄弟喧嘩を喜八郎が仲裁したという逸話が残っています。世界的に有名なレベルの兄弟喧嘩をおさめるとは・・・本当に仲直りしたというのだから凄い話。
本当に面白い人です、この人は・・・
鬼塚喜八郎の名言
「命まで取られへん、だめならやり直せばいい」
幾度となく経営危機に直面しながら成功を収めたからこそ出てくる名言です。
ベンチャー、ベンチャーっていうけれど、ただの金儲けのベンチャーじゃダメ。社会がどんな恩恵を受けるのか。それが非常に大事。
「近江商人の3方よし」のような格言です。
志のある所に道は拓かれ、求めるところに師は現れる。
松下幸之助を尊敬していたそうです。
おすすめのシューズ
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なんといってもダントツ格好いいのはこのゲルライト3!
世界に驚きを与えた「スプリットタン(シュータンが中央から割れています)」は究極のフィッティングを実現!
私も欲しいです。
オニツカタイガーブランドの名品ローンシップ。初めて発売されたのは1974年。テニスシューズです。シンプルでグッドシェイプなデザイン。
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オニツカタイガー・メキシコ。
asics社で、2002年にオニツカタイガーブランドは約30年振りに復活しました。レトロでも決して色褪せないベーシックなスタイリングは現在多くのファッションフリークに注目されています。