衝撃を受ける
「1979年9月15日生まれ」
昨日協会けんぽの検診があり、受付簿、同意書、問診票、検尿や検便キット等あらゆる物に自分の生年月日を記入した。
普段生活をしている中で「俺は44歳だぜ!」と意識しながら過ごすことなどあまりないが、こうしつこいくらいに自分の生年月日を何回も記入すると、母親のお腹から出てきてからなんだかんだでこんなに長い年月が経ったのだなと思い知ってしまう。残酷だ、検診というものは。
そんな折、実に衝撃的な記事を目にしてしまった。
「40歳で人生の83%が終わっている」
・・・実に衝撃的な内容である。
既に40歳を過ぎて4年半もの年月が経過している自分は、果たして何%という計算になるのだろうか・・・。そんな思いが過ぎった。
後半生は瞬く間に過ぎるらしい
人生100年時代と言われる事さえある現代社会。いや、それは流石に盛った表現であったとしても、少なくとも医療先進国である日本人の平均寿命は80歳は優に超えている筈である。
なので、44歳の私もまだまだ道半ばだという事になる筈だ。
「40歳で人生の83%が終わっている」
そのこころは?と言いたくなる。
件(くだん)の記事によれば、「認識できる時間の速度が後半生になるにつれて加速度的に速くなるから」だそうだ。
つまり、これまで感じてきた40年分の時間的感覚とこれ以降の時間的感覚は全く別物であるというものなのである。
歳をとると未経験の事が減り(既知・既視的経験ばかりになり)、その分時間が短く感じる。未経験の出来事に遭遇している時、体感的な時間が長く感じることはあらゆる研究から明らかにされており、経験済の事ならばその逆。そして、未経験の出来事への遭遇確率をサンプリングケースに当て嵌めて平均値を求めたところ、凡そ40歳で人生に於ける体感時間の83%が経過してしまうということになるそうだ。
今年で45歳。今、思う事
なるほど、色々と考えてみると腑に落ちることも多い。そうなのかもしれない。不思議とそう思った。
「残り」が短い
そうであるとして、それについて惜しいという感情が芽生えるわけではない。そもそも人の人生など儚いものなのだ。
死ぬのも怖いわけではない。どうやって死ぬのかは分からないが、死という現象に至るまでの苦しさや痛みは怖くないと言えば嘘だけれども。
ただ、幾つかは考えることはある。
悔いのない余生を
「短い」のはいいけれど、死ぬ瞬間に悔いが残るような生き方はしたくない。後に残るかどうか等は別にして、自分自身に対して納得できる余生を生きたいと思う。こんな自分にも、まだまだもう少し、どうしてもやっておかなくてはいけないと思うことはある。死んだら何も自分で出来なくなるという事だけは、間違いのないことなのだから。
健康寿命をなるべく長く
昨年はダイエットに取り組んだ。これは見た目がどうこうよりも検査値の改善が最たる目的だった。なるべく長く健康を保ち、自分のことが自分でできるように努めたい。それは多分豊かな人生という観点において相当重要なことだと思っている。
ストレスに気を付ける事
前項に連なる内容だが、ここ数年、身近な人たちが数人大病を患った。
皆、自身よりも他者を優先する優しさを持っていて、自分は無理を押す素晴らしい人たちだった。大事に至らなかった人もいるが、亡くなった人もいた。今まさに正念場を迎えている人もいる。
「お前も真面目だから、無理はするな」
大病を患った人の一人からそう言われた時、泣けてきた。
憎まれっ子世に憚るというが、真面目に頑張っている人ほど、ストレスで病気になる理不尽、不条理。独善的な人はそれを溜め込まず比較的健康を保っている気がどうしてもしてしまったからだ。私は無神論者だが、神も仏もないと嘆きたくなった。
他者の為に自分を犠牲にすることは悪くない美徳だ。独善的で自己中心的な様は傍目にみるととても浅ましく思えるし見苦しい。しかし、少し考え方、生き方を考えなくてはいけないのかもしれないという迷いが過ぎりもするほどに、ここ数年不条理な出来事が多かったのは事実だ。
未知への挑戦
少し話が逸れたような気もするが、未知の体験に遭遇すれば、その時間は長く感じるという事になる。
平々凡々と過ごす穏やかな日々にも憧れるが、ここからもう一超え新しい挑戦を始めるのも悪くない。イコール残りの人生が長く感じるという事にもなり得るわけだし。
まだまだここから。自分次第で如何様にも未来は変わっていく可能性はある。
まとめ
ファッションについても。それは紛れもなく私にとっては人生の中でそれなりのプライオリティを占める要素である。
まだまだこれから色々なモノを身に付けて、或いは所有して、有意義な余生を象るピースの一部にしていきたい。
人生の80%以上が、体感的に終わっていることは事実なのかもしれない。
しかし体感的に少しでも長く感じられる豊かな余生になるかどうかは、自分次第なのかもしれない。
※気付けば当ブログも600記事を突破しました。偏(ひとえ)に普段から訪問して頂いている皆様のお陰だと思っています。今後も宜しくお願い致します。
おまけ
実は最近両親の飼っていたネコ(ルル)が亡くなりました。20歳くらいの長寿で、父も母も我が子以上に可愛がっていました。
気落ちしないか心配していたのですが、先日新しいネコが来たとのことで見に行ってきました。それがこちらのスコティッシュフォールドのジル君(4カ月)。人見知りしないやんちゃ君です。
私や弟が普段ずっと両親とは一緒にいないので、私達の分も父と母を宜しくお願いしますね。頼りにしてます。
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