8月に思うことはやはり戦争のこと
来る8月15日は終戦記念日である。
やはり、一年に最低一回は戦争のことについて考えるべきなのではないかなと思う。それに相応しい時期はやはりこの夏の終わりだ。
私は勿論戦争を知らない世代だ。私の親世代でも実際に経験してはいない。
そして、戦争の実体験者は年々減っていく。終戦が昭和20年だから、今の80代の方々でさえもまだ子供だったということになる。実際に出征した方々の話は段々聞くことが難しくなってきているのが現状だ。
生き証人がいなくなってしまう時代までそう遠くはない。だから、勉強するのを急がなくてはならない。本当の意味で考えることのできる時間は残り僅かなのだ。
・・・勝手に、そんな風なことを考えたりしている。
さて、このブログはファッションブログ。というわけで、今回はミリタリーウェアを着ることの意味合いについて、少し考えていきたいと思う。
ミリタリーウェアを身に付ける際に考える事
肯定は出来ない
先日、とあるファッション系YouTubeを視聴していた際に、
「実際に戦場や若しくはその訓練時等に使われていた実物が古着屋等に並ぶが、ミリタリーウェアを着ることについて、戦争を肯定しているわけでは決してない。軍も兵士も、自分たちの大切なものを守るために勇気をもって戦場へと繰り出したのだ。その勇気に敬意を払っているのだ」
といった主旨の事を述べていた。
・・・半分は賛成だが、もう半分には違和感を感じた。
国家の意志や宗教、民族問題等、決して簡単には述べる事が出来ないほど、戦争が起こる背景については複雑だ。日本が関わった第一次大戦、第二次大戦についてもそれは全く同様である。
しかし、決して戦争を肯定してはいけないと思っている。
先述した大きな意志と現場の事情には大きな隔たりがあることは間違いないので、現場で行われている事を批判したいわけではない。
しかし、ほんの1ミリも肯定してはいけないのではないだろうか。
「勇気に敬意」とは聞こえはいいが、そこには計り知れない悲劇が存在している。何かの主義者では決してないのだが、着目すべき点、論じるべき点が少しずれているように思えてならない。
どう着目すべきか
アイテムとしてのミリタリーウェアを見る視点の中に、実際の戦争についての意識を混ぜてはいけないのではないかと思う。そうした見方をしてしまった場合、どうしても戦争の現場・現状について論じなければ辻褄が合わなくなってしまうからだ。そこには触れない方が良い。
では、どう着目すべきか?
いまや、ミリタリーに関するものは私達の日常生活の中に深く関係している。私のように実物を所有しているものもいるし、ミリタリーから着想を得ているものや軍と関係しているブランドという風に裾野を広げて考えれば、「全く触れたことはありません」と宣われる人はほぼほぼ存在しないだろう。
Tシャツもチノパンツも元々はミリタリー由来のアイテムだし、トレンチコートやフライトジャケットなんかもそうだ。ブランドで言えばアディダスもプーマも、コンバースもニューバランスも軍への支給実績があるブランドである。
ミリタリーアイテムが何故こんなにも世の中に流通しているのかと言えば、それはクオリティの高さが故と言うほかにない。
各国の軍が使用しているものは、ある意味その国の威信が掛かったものという見方も出来、お国柄も色濃く反映されている。個性的で魅力があり、勿論極めてクオリティが高い。これは非常に単純な話だし意味合いも実に明快だ。
何かを身に付ける時に、その脈絡やバックグラウンドを理解するべきであるというのは個人的な信条ではあるのだが、ミリタリーに関しては
「それが戦争に関連するものである」
というよりも
「軍に支給されていた(いる)ほどのクオリティの高さである」
という意識を強めに持つべきなのではないかと思っている。
少なくとも、私はそういう風に考えているし、だから愛してやまないのである。
まとめ
かつてジョン・レノンは反戦の意味合いを込めてミリタリーシャツを着用していたらしい。その辺りの捉え方や表現方法は個人の自由だし感受の有様も個人差があるので否定も肯定もしない。
最近もドイツ軍のミリタリーカーゴパンツを購入した。デッドストックなので倉庫から出てはいない筈だが、90年代にドイツ軍の為に作られたことには違いないアイテムである。
先述したように、これを戦争と結びつけて考えてはいないと思っている。因みに反戦の意味合いを込めて履いているわけでもない。
ミリタリーアイテムは本当に格好良い。今までも今現在も、世界中のデザイナー達からサンプリングされ、様々なブランドからリリースされるアイテムはミリタリーと深い関連性を持っている。
日本中の古着屋・ヴィンテージショップにも所狭しと大量のミリタリーウェアが陳列されている。そして私たちの身の回りはミリタリー由来のもので溢れ返ってもいる。最早、誰しもの日常生活と切っても切れない関係性なのは間違いない。
今回述べたのは私の私見である。決して正解ではない。そして、きっと正解は存在しない。
しかし、ただ何となく惰眠を貪るだけではなく、自分なりの考え方を持つことは重要なことなのではないかと思う。
特に、終戦月である8月に、一年に一回でも良いので考えを巡らせてみてはどうだろうか。
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