青菜に塩を振りかけると、途端に萎れてしまう。
何かをきっかけにして、一遍に元気がなくなってしまうことをそう表現する事がある。
出典:鳥山明『ドラゴンボール』
ここ数日の僕は、まさしく塩をかけられた青菜のようにクタっと萎れていた。
朝から晩まで特に何をするでもなく、毎朝のルーティーンであるシャワーも浴びなかった。
はたから見れば、サイバイマンにやられたヤムチャのようにピクリとも動かなかっただろうから、生死さえ疑わしかっただろうと思う。
さて。何故このような事が起きたのかという話だが・・・。
数年前から声高に叫ばれ始めた働き方改革の一環で、年5日の年次有給休暇取得が義務化された。
結論から言えば、これだ。
僕はこの2日間、年次有給休暇の消化に当たっていた・・・。
つまり、仕事を休んで巣ごもりをしていたのだ。
今年度に入ってからほぼほぼ全くと言って良いほど有給休暇を消化していなかった僕に、部下が「お願いだから、ちゃんと休んでください」とわざわざ言いに来るという出来事が先月あった。
幾通りかの思惑があってのことだが、僕は自分の管理する事業所にて、今年度誰が何日年次有給休暇を消化しているかをグラフ化して貼り出している。無論、保持している残日数も同様だ。
思っても見なかった副作用とも言えそうな事象だが、それによって僕自身の消化数、残日数も明るみに出てしまうことになっていた(隠していたわけではないが、わざわざ公表することなくこっそり消化していたのだ)。そんなことは「狙い」の中には入っていなかったのだが。
加えて、その少し前に自身でも「やってしまった」と思った出来事があった。
17:30に業務を終えた際に、デスクに座りながらついつい大きなため息をついて項垂れたところを部下に見られてしまったのだ。
後々、僕がオーバーワーク気味で随分疲労困憊だという噂が事業場・・・いや、会社全体に伝わってしまっていたようだった。
そんなことがあったのと、有給休暇の消化が儘なっていないことがバレて、部下から「休んで欲しい」と心配される有様となったのだった。
勿論先述したように、年間5日は有給休暇の消化が義務付けられている訳なのでどこかで消化自体はちゃんとするつもりだったが、そこに至るまでの道程はやや意図するところと違ったのであった。
前の週から自分の業務をある程度意図的に調整し、平日に2日間の有給休暇を取得することになった。
事務所内に掲示してある勤務表の、自分の欄に2日分の「有給」を書き込むと、ほぼほぼ想定内だったが職員間で様々な種類のざわつきが起こったようだ。
事業場の管理者である僕が平日に2日間職場を空けるということはここ何年か記憶にない。
不安や危惧もあるだろうが、中には安堵している職員もいたかもしれない。
・・・まあ、それはそれでよい。普段僕がみんなに対して緊張感を付与しているという何よりの証拠だからだ。
こんな時にざわつきが起こらない管理職こそどうかと思う。
休みに入る前日に、関連事業所に赴く用事があった。
そこの事務職員に話の流れで「明日から2日間空けるから」と言った。
事務職員の女性は
「えー、何するんですか?」と聞いてきた。
ああ・・・普通、2日間休むと聞くと、どこかに出掛けるだとか、そういうことを想起するんだなと、少しハッとした。
唐突に決まった休みだったからそんなことは頭になかったし、そもそもここ数年間、続き日で休む事なんかほぼほぼなかった。
「(用事は)特に何もないよね・・・」
事務所の天井を見つめながら若干上の空気味にそう呟いた僕を見て、事務職員の女性は「聞かない方が良かったのだろうか」といったような表情をしていた。
そんな彼女の表情から意図を読み取り、僕もまた、どこか申し訳ないような気持ちになった。
その晩に、明日からやってくる2連休をどう過ごそうかと随分な時間思案していた。
当てもなくドライブにでも行ってみようか・・・
当てがなさ過ぎて、無駄な時間を過ごしてしまうような気がした。
星野源のエッセイ「いのちの車窓から2」を最後まで読み上げてしまおうか・・・
いつも隙間時間に読んでいるから、何か勿体ない気がした。
ブログ記事を何記事か貯め書きしようか・・・
書きたい題材が、こんな時に限ってこれといってなかった。そんな時に無理に執筆しても良いクオリティのものが出来上がった試しがない。
・・・結局、何も見つからなかった。
取り敢えず次の日を気にしないで良いからと思って缶ビールを飲み、いつもとそう変わらない時間に就寝した。
結果、僕は有給休暇を取得した2日間、先述のように生きているか死んでいるか分からないくらい無気力に過ごした。
気付いたら、食事もろくすっぽ摂らないほどだったし、汚くて恐縮だがお風呂に入っても体や頭さえ洗いたくなかった(洗わなかった)。
2日間、「青菜に塩」だったのだ。
そして、その休暇が終わろうとしている夜にこの記事を書いている。
何故、あそこまで魂が抜けたがらんどうの様になってしまったのか。
かつてアルバート・アインシュタインは
「人生とは自転車のようなもの。倒れないためには走り続けなければいけない」
という名言を残した。
絶え間なく走り続けてきたこの数年間。正直言って、耐え切れるかどうかわからないと思えるほどの渦の中に自分はいたと思う。
怠惰が服を着て歩いているようだと父に揶揄された少年時代からは想像もできないほど、最近の自分は無我夢中で働いてきた。
自分でもいまだに不思議でたまらないが、僕は仕事になると人が変わる。自分で言うのもなんだが、とても良く働く。
社会人になってから初めてそういう自分の一面に気付いたくらいだ。
きっと、倒れないように回り続けてきた僕の車輪は、この2連休で止まり、そして側方に倒れてしまったのではないだろうか。
魂が抜けたように呆けっとなってしまったのではなく、寧ろそちらの方が本来の自分なのかもしれない。
明日からまた、きっと怒涛のような日々が戻ってくる。
出典:鳥山明『ドラゴンボール』
出勤したら、僕のデスクには隙間がない位不在連絡票が貼ってあるかもしれない。だから、少し早く出社しなければ・・・。
憂鬱な気もするけれど、でも間違いなくその激務に自分は生かされている。その中でこそ、自分らしさは保たれているわけだ。
だから、忙しさって僕にとっては、結局とてもとても有難いことなのである。
今回の有給休暇の取得によって、それに気付けたことこそが最大の御褒美だったと思う。
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