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日本ファッション界の元祖カリスマ
今の若い人たちは「ヴァンヂャケット」をご存じでしょうか。
・・・とはいえ私も世代という訳ではなく、1960年~1970年代に一世を風靡したアパレルカンパニーです。私の親世代ということになります。
出典:Wikipedia
なので、リアルタイムに体験したわけではないのですが、現代のメンズファッションの根底には、ヴァンヂャケット・・・つまり創業者石津謙介氏の作り上げた土台が色濃く反映されていることは知っています。
石津氏は誤解を恐れずに言えば「破天荒な人物」でした。パイオニアになる人物はそういう特徴を持っていて然るべきなのでしょう。
石津氏を語る上で欠かせない事柄は
- 初めて世界規格のアパレルカンパニーを日本で作ったということ
- 数多の日本人デザイナーに多大な影響を与えたこと
- 「TPO」「カジュアル」「キャンペーン」などの用語をはじめて定着させたこと
等が挙げられます。
まさに日本メンズファッション界の元祖カリスマ!
今回は石津謙介について語っていきたいと思います。
波乱万丈の青年時代
石津謙介は1911年岡山県の生まれ。紙問屋の次男として生を受けます。
本人談によると、当時着流しに草履、学帽スタイルが主流だったなか、袴を羽織って登校。また、他校の制服が気に入って転校し、学生服をこしらえてエナメルの靴を履いたそうです。当時としてはかなり破天荒ないでたち。何十年も先を見通したセンスだったようですね。
明治大学商科専門部に入学し、裕福な出自だったこともあり自由な学生時代を謳歌。
大学時代はオートバイ部を立ち上げて仲間と日本一周旅行をしたり乗馬、水上スキーなどにも興じました。正に自由そのもの。
しかし、あんまり自由に遊びすぎたため実家からの送金をストップされ渋々岡山の実家で紙問屋を継ぐことになります。
しかし1939年(昭和14年)に訪れたのは政府の「紙統制(新聞統制)」。
1938年の国家総動員法からの流れで日本政府は言論統制をすすめ、新聞は一県一紙となってしまいます。
当然紙問屋は立ち行かなくなり、石津は家業をたたたむことに。
このように波乱万丈な青年時代を送った石津は、新しい転機を中国は天津で迎えることとなるのです。
ヴァンヂャケット創設
石津は家業をたたんだ後実家に両親を残し中国は天津に渡ります。
知り合いの会社であれよあれよとナンバー3まで上り詰めますが、この会社、繊維雑貨等を販売するカンパニーだったのです。
これが石津のアパレルとの出会いだったと言って良いでしょう。
終戦を天津で迎えた石津は帰国後、大阪西心斎橋の路地にて1951年(昭和26年)
有限会社ヴァンヂャケットを設立。
「 VAN」は「前衛、先駆」等を意味しています。まさに石津の生き方そのものですね。
ヴァンヂャケットはアメリカ東海岸名門大学グループ「アイビーリーグ」の学生やOBの間で広まった紳士服のスタイルである「アイビールック」を提唱しました。
アメリカの服飾文化はもともとヨーロッパ(主にUK)から流入されたということは以前も当ブログで語りました。
アメリカ人はUKの伝統的な服飾文化を合理的な独自性で昇華し自分たちの環境に沿って広めていったのです。その中の一環がアイビールックと言えると思います。
ブレザー、ボタンダウンシャツ、ローファー・・・
ローファーなどは典型的なアメリカ人の合理性の象徴です。
ローファーが誕生したのはUKですが、アメリカで拡まったとされています。
靴ひもも靴ベラもいらず着脱でき、動きやすいがジャケパンスタイルにもマッチする。格式よりも合理性を重視するアメリカ人らしいアイテムです。
そんなアメリカ独自の服飾文化を、石津は中国にいたときに交流があった米兵などから学び、「世界基準」の服飾を体感したのです。それまで日本は服飾文化の金字塔がない状態でした。
石津は「日本に世界基準のアパレルカンパニーを」との思いで「ヴァンヂャッケット」を立ち上げたのです。
石津はブレザー、トレーナー、ボタンダウンシャツといったアイビールックの定番ものを日本に流入させ売り出しました。Tシャツを持ってきたの石津です。
ちなみにTシャツはアメリカ由来のものと思っている方も多いかと思いますが、元々フランス海軍ユニフォームの一つでアメリカ軍がそれを真似て作り陸軍の肌着として採用したという流れがあります。つまりTシャツはミリタリーアイテムなのです。
時代の寵児
VANは当時の人気俳優たちへの衣装提供、「男の服飾読本(後のメンズクラブ)での石津の評論活動、東京進出など、実にスムーズに勢力を拡大していきます。
VANの勢いはとどまることを知らず、石津の持ち込んだアイビールックは当時の社会現象と言えるほどだったようです。
銀座のみゆき通りは「VAN」の紙袋を提げた若者 で溢れかえり、メディアに
「みゆき族」と命名されました。
現代ほど価値観が多様化していなかった時代だったとはいえ、これだけの社会現象を起こすのは凄いことです。
戦後の高度経済成長の最中ではあるものの、戦時中を思い起こせば第3次的欲求であるファッションに国民が興じることができたという意味合いはとてつもなく大きかったのではないでしょうか。
VANと石津謙介は時代の寵児となったのでした。
伝説の終わり
しかし、1979年12月(私の生まれた年です)VANは倒産します。
異常なほどに膨張した会社はメディアの強烈なバッシングを受けるなどして急激に業績が悪化。歯止めはきかず時代の寵児が作り上げた日本最古の世界基準のアパレルカンパニーは一応の終焉を迎えます。
以降石津はフリーランスとして活動。モスクワオリンピックで中国選手団のユニフォーム(中国が結局参加せず)、NTT、新幹線乗務員、鑑別所などシチュエーションにこだわらずあらゆるセクションでユニフォームをデザインする等精力的に活動していきます。
石津は2005年に肺炎で逝去します。入院中も他の患者と同じ病衣で過ごすことを良しとせず、息を引き取った際も三宅一生がデザインしたシャツを纏っていたそうです。言葉もありません・・・。
「VAN」は現在実質存在しませんが、ライセンス商品があったり、孫の石津塁氏が「ケンズアイビー」を立ち上げて石津謙介のアイデンティティをダイレクトに発信していたり、
https://www.wwdjapan.com/articles/830545
何よりも石津謙介に多大な影響を受けたデザイナーやアパレル関係者たちが活躍していたりしています。
石津謙介に影響を受けた人々
コシノ・ジュンコ
知らないという人はいないでしょう。
コシノジュンコさんは青山のVANのすぐ近くにブティックをオープンさせ、石津から多大な影響を受けたそうです。
三宅一生
三宅一生さんもコシノジュンコさんと同じく青山にお店を構えたことで石津と邂逅しています。
日本ファッション界の重鎮にして日本一格好いいおじいさんです(すみません・・・)。
上述のように、石津は息を引き取る際イッセイミヤケのシャツを着用していたという逸話が残っています。
三宅一生は石津のことを唯一「先生」と呼んでいたそうです。
(この時計は凄く個性的で格好いいんですよね・・・)
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重松理
言わずと知れたユナイテッドアローズ創始者にして現名誉会長。元はBEAMSにいた人です。
重松氏もVANと石津謙介から多大な影響を受けたと語っています。
柳井正
UNIQLO要するファーストリテイリング社長の柳井氏。柳井氏の実家が「VAN」の販売店だったというのはとても有名な話です。
VANと石津のイデオロギーが今を時めくUNIQLOの出発点だったといっても過言ではないでしょう。
(番外)ファーストサマーウイカ
影響を受けたという訳ではないですけれど、石津謙介はファーストサマーウイカさんの大叔父にあたるそうです。
なにか世間的に大きな仕事をするという意味では血統なのかも
しれませんね。
(まさかこのブログにファーストサマーウイカさんが登場するとは・・・)
石津謙介が作った(定着させた)用語
TPO
Time(時間)Place(場所)Occasion(場面)
時と場所、場面をわきまえて言動、行動する事として、一般的に広く流通しているビジネス用語です。社会人なら知らない人はまずいないでしょう。
私もTPOおじさんと陰で言われているのではないかと不安になるほどよく部下に発する用語です・・・
これは石津がVANでアイビールックを普及させている時期に
「流行よりも普遍的ルールと身だしなみまで考慮したお洒落=TPOをキーワードに実践せよ」という自説を繰り広げたことが始まりと言われています。
カジュアル
現在日本で一番売れるメンズカテゴリーは「アメカジ」です。日本が戦後アメリカの強い文化的影響を受けた所以ですが、アメカジは勿論「アメリカンカジュアル」の略。ジーンズやフランネルシャツ、ワークブーツ等々。
しかしそもそも「カジュアル」という言葉を定着させたのは石津謙介なのです。
何とも偉大・・・。
キャンペーン
VANはその時代にマーケティング戦略として今でいう「キャンペーン」を先駆的に行っていたことでも知られています。
ノベルティグッズを作り販売促進の一環とする。グッズは収集家もいたほどだったそうです。
トレーナー
いわゆるスウェットシャツのことですね。アイビールックに欠かせないアイテムの一つ。
石津が生み出し定着させた用語は300~500にも上ると言われています。
まとめ
長々と日本ファッション界の元祖カリスマについて語ってきましたが、先日新型コロナウィルス感染の末逝去されたKENZOの高田賢三さんと同じく、凄まじく偉大な存在だったことがお分かりいただけたかと思います。
パイオニアとはやはり並みの感覚を持った人間ではないのだろうかとも感じます。
今の若者は恐らくヴァンヂャケットのことはほとんど知らないでしょう。私もギリギリの世代。
しかし、現代のアパレル業界、特にカジュアル業界全体の根底にはヴァンヂャケットと石津謙介の存在があり、その上に成り立っていることは間違いありません。
温故知新・・・古きを知らなければ新しいことは導き出せない。歴史を知らなければ、どこか軽薄で説得力がない。私はそう思います。
衣服というものは必ず毎日触れるものであり、絶対的に日常に欠かせないものです。その不可欠なものは一体どういう経緯で現在の風潮に至っているのか。今回はほんの少しですがそんな部分に触れることができたのではないかと思っています。
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最後まで読んでいただきありがとうございます。