- 元サッカー日本代表監督・イビチャ・オシム氏逝去
- イビチャ・オシムが日本に来るまでの物語
- オシムの凄さ【日本に来たという事実そのもの】
- オシムの凄さ【戦術①】
- オシムの凄さ【戦術②】
- オシムの凄さ【未来を見抜く力】
- オシムの凄さ【名言集】
- イビチャ・オシムが遺してくれたもの
元サッカー日本代表監督・イビチャ・オシム氏逝去
出典:オシム氏をイタリア紙も追悼「天才的選手でカリスマ性のある指揮官」「ユーゴスラビアで最も偉大な人物」 - サンスポ
2022年5月、元サッカー日本代表監督のイビチャ・オシム氏が亡くなりました。享年80歳。
皆さんはイビチャ・オシム氏をご存知でしょうか。
サッカーに興味がない方はもしかしたらご存じないかもしれませんね。
サッカーに興味がある方も、オシム氏がどんな方で、日本サッカーにとってどんな存在だったのか、深く知らないという方もおられるかもしれません。
私は欧州サッカーと日本代表のサッカーを長年追い続けてきました。
オシム氏は、間違いなく歴代の日本代表で最高の指導者です。これは断言します。
そして、彼の物語とその人間としての魅力もまた、至上の価値があるものなのです。
イビチャ・オシムが日本に来るまでの物語
旧ユーゴスラビア最後の監督
出典:カテナチオな大会 - サッカー好きビジネスマンのブログ〜勝負は試合前についている〜
オシム氏は、「旧ユーゴスラビア代表最後の監督」として知られています。
90年代の旧ユーゴスラビアの凄惨な内戦は、近代史にあまり詳しくない方であっても何となく概要は知っていると言っても過言ではないくらい世界史上大きな出来事だと思います。
旧ソ連の崩壊に端を発する東欧民主化により独立宣言したコソボを取り巻く紛争を皮切りに、未曾有の民族紛争に発展していきます。近代史においては最大級のものと言って良いでしょう。
旧ユーゴ紛争は10年余りも続き、セルビアは現在に於いてもコソボの独立を認めていません。
そんな中、旧ユーゴ連邦諸国の一つであるボスニアの首都・サラエボ出身のイビチャ・オシムはユーゴスラビア代表の監督を務めていました。
当時のユーゴスラビア代表はきら星の如く輝くスター選手が数多く存在しており、そのメンツを見ればワールドカップやユーロを制覇するのも夢ではないと言われるほどでした。
しかし、「5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」と呼ばれる国家の代表チームの中で、オシムはサッカー以外の様々な事柄とも同時に戦わなくてはいけなかったのです。
壮絶な戦い
出典:【画像】オシムのビジョン、ギドの本音…名役者が共演した90年W杯、西独vsユーゴの真相【名勝負の後日談】|ニフティニュース
政治的な圧力がサッカーというスポーツ競技にさえも容赦なく降りかかる中、オシムは決して自分の信念を曲げることなくそれに立ち向かいます。
しかし、「ザグレブの血の日曜日」事件(試合開始直後にセルビア人とクロアチア人の乱闘が起こり、双方合わせて140人を超える怪我人が出た)やメディアの暴走等を経て参加したイタリアワールドカップでは、グループリーグを凄まじい強さで突破。その後ラウンド16も突破します。
しかし、PK戦までもつれ込んだアルゼンチンとの準々決勝では、なんとほとんどの選手がPKキッカーを務めることを拒否します(自らキッカーを申し出たのはたった2人)。
もしもPKを蹴って外すことでもあろうものなら、荒れに荒れている国際情勢の中、自分の身のみならず家族の身の安全さえも危ういという判断からの事でした。
オシムはその時、一体何を思ったでしょう。
様々な政治的圧力と必死に戦いながらも魅惑のサッカーでワールドカップの準決勝まで上り詰めた末、選手から出た言葉はそれ。その失望の程を考えると胸が締め付けられます。
そんなモチベーションの中で、究極の神経戦ともいえるPK戦に勝つことなどできません。
かくしてユーゴスラビア代表はアルゼンチン代表にPK戦で敗れ、準々決勝で姿を消します。
政治紛争に翻弄される
出典:前からサッカーの疑問 | Alan-Smithee (plog)
その後、クロアチア、スロベニア等が続々とユーゴ連邦から独立。オシムが率いるユーゴスラビア代表への参加を、独立した国に国籍を持つ選手たちは次々に辞退していきます。
オシムは「代表でサッカーをした者の家に爆弾が落とされるかもしれない。それを強いることはできない」と嘆いたそうです。
しかしそれでもユーロ予選を勝ち抜いたオシム・ユーゴ。それだけの状況の中でも本当に強く、ピッチ上で見せるサッカーは魅惑そのものでした。
そんな中、オシムの家族は「サラエボ包囲戦」に巻き込まれ、家族は離れ離れに。
なんと残酷なことに、当時オシムが率いていたパルチザン・ベオグラードはそのサラエボを攻撃・包囲している人民軍のクラブでした。
オシムは抗議の為、ユーロ本選出場を決めた代表チームの監督を辞任する意向を示します(その後ユーゴ代表はユーロ本選出場権をはく奪)。
この時、オシムは初めて「人生に於いて、サッカーよりも大事なことが存在する」と語ったそうです(その後家族とは無事に再会を果たす)。
極東のサッカー後進国へ
出典:【J25周年企画】ロマンティックだったオシムの戦術 「リスクを冒せ! コントロールせよ!」 - スポーツナビ
想像を絶する苦悩の中ではあったものの、「幻の世界最強チーム」ユーゴスラビア代表を率いたオシムの手腕は世界中に轟いていました。
レアル・マドリーをはじめとする世界有数のメガクラブからのオファーもあった中、オシムは家族と共に過ごす時間を優先し、敢えて小国の中堅クラブであるオーストリアのシュトゥルム・グラーツを率いることを選択します。
グラーツをオーストリアの強豪クラブに育て上げたオシム。
その次の挑戦に彼が選んだのは極東のサッカー後進国「日本」の弱小クラブ「ジェフ市原」でした。
オシムは現役時代に日本を訪れたことがあり、その際に日本人の温かくて親切な国民性に感銘を受けたそうです。
彼は「日本に一度目に来たことは偶然である。しかし、二回目は偶然ではない。私の意思だ。」と語りました。
世界から見たときに、明らかなサッカー弱小国である日本。そこでオシムの新たな挑戦が始まるのです。
オシムの凄さ【日本に来たという事実そのもの】
出典:オシム氏死去 ネットで追悼の声「あなたがいたから日本サッカーは進化した」「W杯での戦いを見たかった」― スポニチ Sponichi Annex サッカー
前項までで、オシムが日本に来るまでの物語を述べてきました。
この時点で、あの「幻の最強チーム・ユーゴスラビア」を率いていたイビチャ・オシムが当時のジェフ市原(現・ジェフユナイテッド千葉)の監督に就任しただなんてちょっと信じられません。その位凄いことだったのです。
例えば国際情勢が全くサッカーに影響しない世の中であったならば、ユーゴスラビア代表はワールドカップもユーロも制していたかもしれないと分析する識者は多くいます。そしてそのチームの監督は紛れもなくイビチャ・オシムその人だったのです。
クラブレベルでも、レアル・マドリー等の世界一のクラブを率いていたかもしれませんよね。実際にオシムはオファーを蹴っています。
しかし、オシムの魅力はやはりそういったメガクラブを率いず、中堅、若しくはそれ以下のチームを率いて結果を残してきたことです。シュトゥルム・グラーツも然り、ギリシャのパナシナイコスやジェフ市原も然り。
例えば現在マンチェスター・シティのジョゼップ・グアルディオラやリバプールのユルゲン・クロップ、アトレティコ・マドリーのディエゴ・シメオネ等が世界最高峰の監督と言われていますが、資金が潤沢にあって、監督の望む選手をある程度連れてくることのできる状態で結果を残すのと、そういった要素が少ない中で結果を残す監督とを比較して、本当に評価されるべきなのはどちらなのでしょう。
時々素人ながらそんな風に思ったりします。
まあそれは言い過ぎでも、オシムのキャリアは本当に魅力的だという事です。
オシムの凄さ【戦術①】
出典:「何度も怒られました。でも…」中村憲剛の胸に深く刻まれた“オシムの言葉”とは?「日本人よりも日本の可能性を信じてくれていた」 - サッカー日本代表 - Number Web - ナンバー
オシムの凄さは「戦術がある」ことです。
?
戦術はどの監督にもあるでしょう・・・?
それは間違いです。
現に、現代表監督の森保さんに確固たる戦術はありません(応援している方すみません)。
「(上田)アヤセ、タタカウヨー!」
これは日本代表の上田綺世選手(鹿島アントラーズ)に森保監督が試合中出した指示をマイクが拾って話題になったもの。これだけで十分です。残念ながら彼にはゲームをデザインする能力やチーム戦術をオーガナイズする能力はほぼないと思います。ビジョンもない。非常に残念なことですが。
戦術と言えば、ロシアワールドカップの直前に解任されたヴァイド・ハリルホジッチ監督も明確なものがあり、彼の場合は「デュエルと縦への早い展開」でした。しかしこれは完全に「アフリカ仕様」の戦術。日本人の特徴とは言えない「フィジカル」と「反復力」がないと成り立たない戦術でした。これは当時私も観ていて「日本には合ってない」と明確に分かりました。その位かけ離れていてのです。
余談ですがハリルホジッチはまたしてもワールドカップ直前に、率いているモロッコ代表監督を解任されかけています。日本代表の時とほぼほぼ同じタイミング。彼には何か重要な問題があることは明白ですね。
さて、冒頭に戻りましょう。
「オシムには戦術がある」。
その戦術とは、「日本人にフィットする」戦術なのです。
オシムの凄さ【戦術②】
出典:オシムさんが歓迎した「ルール破り」独特な練習で鍛えられた日本代表|au Webポータルスポーツニュース
オシムの基本戦術は
- 強度の高い守備からの反転速攻
- リスクを冒しての攻撃(チャレンジ)
- 考えて走る
といった特徴を持っています。
元々極上のスカウティング能力を持っているオシム。まずは相手のフォーメーションや特徴、戦術を徹底的に分析し、それに嚙み合わせて強度の強い守備をし、そこからリスクを恐れずに攻めに転じる。オシムの名言の一つに「リスクを冒さずに勝てるゲームはない」というものがあります。これはオシムの譲れない矜持なのです。
そして「考えて走るサッカー」。ただただ闇雲に走るわけではなく、目的をもって効果的に「走る」。
オシムのチームには必ず「水を運ぶ」選手がいます。「オシムの申し子」と言われた阿部勇樹選手や鈴木啓太選手は正にその代表格で、それまであまり「走る」イメージのなかった中村俊輔選手や遠藤保仁選手もオシムジャパン時代にはかなり良く走っていました。「水を運ぶ」選手がクラック(中村俊輔や遠藤保仁のように試合を決定付ける能力を持った選手)の為に水を運び、クラックたちもまた考えて走り回る。そうやってゲームの主導権を握っていきます。
簡単ですがこれがオシムの戦術。
では前項で述べた部分に戻ります。
「オシムの戦術は日本人にフィットする。」
オシムの戦術は「弱者が強者を倒す『ジャイアントキリング』要素の強いサッカー」なのです。
守備強度を高め、リスク上等で反転攻撃を仕掛ける。これは格上を倒しに行くときに有効な戦術そのもの。
日本は世界的に見て当時も今もお世辞にもトップレベルに達してはいません。
日本がとるべき戦術は横綱相撲ではないのです。
そして「考えて走るサッカー」。
これも日本人の特性に非常に良くマッチします。
勤勉でよく考えることができ、チームプレイを重んじることが出来る。
そういった特性を鑑みた末にオシムは日本代表にこの戦術を用いたのでしょう。
ハリルホジッチのように、アフリカ人の特性にマッチした戦術をそのままカスタマイズすることなく日本代表に持ち込んだ監督とはレベルが違うのです。
実際に現代の戦術研究家等にも、オシムの戦術は何年も先を行っていて、複雑且つ高度な現代サッカーのシステムや戦術と比較しても全く遜色がないと良く言われています。
オシムの凄さ【未来を見抜く力】
出典:https://kiniisudahh.blogspot.com/2022/05/aaaaaaaca-aaaaee-aaaaaeaaaaaea-aaaaae.html
オシムが日本代表を率いている時、観戦するのがこの上なく楽しみでした。
ワクワクして、ドキドキして、胸が高鳴る。
代表の選手たちはキラキラと輝き、生き生きとプレイしていました。
前項で述べたオシムの戦術は、ジャイアントキリングを起こす可能性を大いに秘めた物。コロンビアやスイス等格上との対戦でもそのコンセプトを崩すことなく真向勝負を挑みました。
そこには間違いなく日本サッカーの未来があり、日本が目指すべきスタイルがあったのです。
出典:【北川信行の蹴球ノート】「オシムさんの魅力は阪神タイガースと一緒」…招聘したGMが10年前に明かした名将との親交 - 産経ニュース
オシムは間違いなく10年、20年先の日本サッカーの行く末を見ていました。
オシムの描いた先には、「日本らしいサッカー」をしながらワールドカップで躍動する日本代表がいました。
ユーゴスラビア代表を率いてワールドカップを闘い、準決勝までたどり着いた末、政治紛争の影響を受けてその夢が指の隙間から零れていった過去。
オシムはその夢の一端を、若き発展途上の日本代表とその選手たちにに重ねていたのかもしれません。
オシムの凄さ【名言集】
出典:オシムが祖国と教え子たちにもたらしたもの。50年来の友人記者が激動の人生を振り返る|海外サッカー|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva
オシムは数々の名言を残しています。
勿論サッカーに関する名言ですが、なんとも奥深く、人生の道標にもなり得る物ばかり。
少しだけご紹介します。
「ライオンに追われたウサギが逃げ出すときに肉離れをしますか?要は準備が足らないのです」
万全の準備をして取り掛かるのがプロ。プロフェッショナリズムを重んじるオシムらしい言葉。例えのセンスも素晴らしい。
「アイディアだ。監督にとって大事なのはアイディアだ。」
森保監督に聞かせたい(応援している方、すみません)。
「古い井戸に水があるのに新しい井戸を掘るのはやめたほうが良い」
ベテランを大事にすることの重要性を説く際に使った例え。ベテランを尊重する美徳は多くの場合一般社会の管理職にとっても必要な意識だと思います。
「誰の真似もする必要はない。自分たちの道を探しなさい」
Mr.childrenの終わりなき旅のような格言。
「サッカーの試合は一人では成り立たない。君たちの人生も同じじゃないか」
もう、コメントのしようがないです。納得しかありません。
「玄関を出入りするときに毎回つまづくならば、それはドアが悪いのではなく、つまづく方に問題がある」
まずは自分に原因がないのかどうかを省みる大切さ。
「二本足で日本に来たが、杖をついて三本足で帰ることになるかも。それだけ多くの足跡を残したというのなら、私の財産はその杖だ」
涙が出そうです。ありがとう、イビチャ・オシム。
イビチャ・オシムが遺してくれたもの
出典:【千葉】オシム氏追悼セレモニーに“チルドレン”羽生氏、水野氏ら来場 スタジアムには献花台 - J2写真ニュース : 日刊スポーツ
イビチャ・オシムは突然の病に倒れ、任期半ばで日本代表を辞任しました。
もしもあのままオシムが日本代表を率いていれば・・・
そう思っていた方も多いでしょう。
オシムの日本代表は先述したように見る者の胸を高鳴らせるサッカーをし、未来の希望を存分に持たせてくれました。
今も昔も、あんな代表は存在しません。
出典:川淵三郎相談役”ポロリ事件”を懐かしむ「オシムさんは常に僕の立場を慮ってくれる人だった」:中日スポーツ・東京中日スポーツ
オシムが日本を愛し、寄与してくれたことは日本サッカーの財産です。
日本サッカーは今、どことなく迷走しているように思えます。
どんなサッカーを目指すべきなのか。
それは確かにオシムが示していました。
例えば、イタリア代表は「カテナチオ」と呼ばれる、あたかもゴール前に鍵が掛かっているかのような強固な守備優先サッカーの伝統があります。
ブラジル代表はストリートサッカーの延長のようなテクニカルで高いレベルの個人技サッカーが伝統。
フランス代表は「シャンパンサッカー」と言われる華麗で奔放なパス回しでゲームを作るスペクタクルなスタイル。
オランダ代表はヨハン・クライフに端を発する、攻撃と守備の分業をシームレスに捉え、チーム全体で攻守を作る「トータルフットボール」。
じゃあ日本は?
「日本のサッカーは○○」だというものが、未だにありません。これではやはり上は目指せないのではなかろうかと思います。
オシムは日本の国民性に合った、先述した戦術を用いました。
オシムのサッカーこそ、日本の目指すべきものなのではないかと私は思っています。
「日本のサッカーは〇〇だ」!
他国にそう示すことのできるサッカー。オシムが見ていた先には確かにあったのかもしれません。
出典:Twitter
オシムは、現代で平和に暮らす私達には想像もできないような過酷な環境の中で、サッカー以外の様々なものと闘ってきました。
世界有数の才能を持った監督だったと、間違いなく思います。
オシムは私達に様々なことを教えてくれました。様々な可能性を見せてくれました。
オシムが遺してくれたもの、それは「日本サッカー界の可能性と未来への夢」だったののかもしれません。
心からご冥福をお祈りいたします。
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