YMのメンズファッションリサーチ

メンズファッションについて、ブランド、アイテム、ショップ、人物等様々な角度からリサーチします。

ユニクロっていつから「ダサい」を脱却してオシャレなグローバルブランドになったの?

 

ユニクロに対するイメージ

人間というものの記憶力、若しくは感覚というものは時間が経過するにつれて徐々に曖昧になっていくものです。

「スマホを中心に社会が回り出したのっていつからだったっけ」

「キャッシュレス決済が本格的に定着しだしたのって、いつごろからだったっけ」

正確に応えることが出来る方が一体どのくらいいらっしゃるでしょう。

ユニクロは、近年そのイメージを大きく変えてきた企業です。

ユニクロが立ち上がり全国に出店し出した当初、自社製品以外のメーカー、ブランドの物を混在して販売していたことを覚えている方がどのくらいいるでしょう。

部屋着にくらいしかならなそうなクオリティのものがズラッと大量に陳列され、「ダサい」の代名詞だった時代はもうとうに昔のお話です。

今や、その存在を十二分に確立し、ファッション性も上がり、そしてその絶対的な品質に対する信頼の高さは一般的なマス層から一部のファッションアディクト層にまで極めて幅広く通用している程。

何十年前のユニクロがこれほど大きく飛躍するという事を想像できた方は私も含めてほぼほぼいなかったのではないでしょうか。

 

世界のユニクロ

出典:ユニクロ公式オンラインストア

 

2023年4月、LVMHが出資するファッションアイテムの検索エンジン「Lyst」が、2023年第一期の最もホットなファッションアイテムの第一位としてユニクロのラウンドミニショルダーバッグを選出しました。ウェブ検索や閲覧数、売上などを総合的に算出したランキングで、今を時めく欧州のラグジュアリーブランドの新作達を抑えての選出であり、このことは日本のみならず世界中で大きな話題に。

ラウンドミニショルダーバッグが優秀なアイテムなのかどうかはさておいて、現在のユニクロの世界的な立ち位置をある意味象徴している出来事の一つとして捉えて然るべきなのではないかとは思いました。

そもそもユニクロは日本ではファストファッションに括られることが多いですが、欧州各国などの海外では明確に「ブランド」として確立されています。勿論日本国内とはマーケティングの方向性が異なるし、価格設定や製造ルートなども全く異なっているので、ある意味別物という言い方も出来ましょうが、いずれにせよユニクロは今や世界規模でトップクラスのアパレルブランドであるという事実は間違いのない事柄なのです。

 

ユニクロの転換期はいつなのか

先述したように、ユニクロはそもそも「オシャレ」とは程遠いところからスタートしています。最早「黒歴史」とも言えそうな事実ですが、兎に角質もデザインも粗悪だけれども価格だけは安いものが店舗内に山積みにされているのがおなじみの光景だったし、つい最近まで「ユニバレ」などという言葉が普通に流通していたくらいでした(最早ユニクロを着ていてダサいという感覚を持つ一般人は随分少なくなってきたので、「ユニバレ」という言語は死語になりつつありますね)。

では、ユニクロが劇的に変わった瞬間というものは存在しているのでしょうか。

実は、あるのです。

個人的には、それは2つあると思っており、次項からそれらを述べていこうと思います。

 

ユニクロの転換期① ジル・サンダーとの協働

常々述べているように、ユニクロの商品は極めて大雑把に2つに分別することが出来ます。それは「インライン(通常の自社製品)」と「コラボアイテム」です。

ユニクロは通常のタグが付いたユニクロの自社製品の製造からスタートしていますが、2000年代中盤くらいから他ブランドとのコラボレーションに動き出します。

アンダーカバー、ミントデザインズ、ビューティフルピープル等々・・・。しかしいずれのコラボも大きな話題とはならず、正直に言って失敗。ユニクロ自体のイメージがまだまだ上がっておらず、いくら人気ブランドとコラボしたアイテムを販売しても、それを購入したいと思うユーザーは極わずかしか存在しませんでした。

しかし、2009年、ユニクロと「鉄の女」ジル・サンダーが協働、コラボコレクション「+J(プラスジェイ)」を発表すると一気に風向きは変わります。

それまでユニクロは、地味ながらも生産背景の構築には余念がなく、その品質、コストパフォーマンス自体は着々と向上していました。後述しますが、2006年にクリエイティブディレクターに就任した佐藤可士和氏のブランディングもまだスタートしたばかり。浸透するには数年は擁します。

世間の評判は未だついてきておらず、やはり相変わらず「ユニクロ=粗悪、ダサい」というイメージはなかなか払しょくできずにいたのです。

そこにきてジル・サンダーとのコラボレーション。これは、ただ単にジル・サンダーがビッグネームだからというだけの話ではなく、ジル・サンダーが飽くなきまでに素材使い、生地の質に拘るデザイナーだったことにこそプライオリティが置かれる話なのです。

ジル・サンダーは巨大資本の下再出発するはずだった自身のブランドにおいて、生地の質を落とす方針に真っ向から逆らい出奔した経歴を持っています。彼女にとって、素材・生地の質というのは自身の作品を作る上で絶対に譲ることのできない要素。ジル・サンダーがどんなデザイナーなのかと聞かれれた時、答えは一つ。先述のエピソードが象徴しているのです。

 

そんなジル・サンダーが協働するという事は、ユニクロのクオリティが相応のレベルにあったという事が証明されたという事なのです。

このコラボレーションによって、ユニクロのイメージは随分変わり、実際に発表された+J(プラスジェイ)のコレクションは伝説的な売上高を達成したのです。

2020年に復活した+J(プラスジェイ)は再び4シーズンに渡って世間を熱狂に包み、店舗前に出来た行列をニュース番組はこぞって報道しました。

間違いなく、現在のユニクロが確立された要素の一つはジル・サンダーと+J(プラスジェイ)であると言えるでしょう。

 

ユニクロの転換期② 佐藤可士和氏のディレクション

佐藤可士和氏は1965年生まれ、東京都出身のクリエイティブ・ディレクター。博報堂を経て2000年に独立しクリエイティブスタジオ「SAMURAI」を設立しました。

一般的に良く知られている仕事としては楽天のグローバル戦略、セブン-イレブン・ジャパン、ヤンマー、HONDA(ホンダ)Nシリーズ(NボックスやNワゴンなど)等のブランドプロジェクト、今治タオルのブランディング等々・・・そして、何を隠そうユニクロのグローバル戦略を請け負っているのです。

2006年にファーストリテイリング社長の柳井氏からユニクロをグローバルブランド化したいという依頼を受けた佐藤氏。まず取っ掛かりとして関わったのは新しく旗艦店として出店予定のニューヨーク・ソーホー店だったとか。世界でも屈指のクリエイター達が集うこの街での成功が、ユニクロのブランドイメージ戦略のカギを握ると確信していたのでした。

 

佐藤氏はユニクロのロゴを刷新。現行として使用されているユニクロのロゴは、この2006年のソーホーの旗艦店開店と同時に発表されたのでした。

クリエイティブディレクターというと、本質的に何をするのか・・・というのはなかなか難しい問いではありますが、佐藤氏が関わってから確実にユニクロのCMや店舗の風景、オンラインストア、そして戦略などはまるで別物のように洗練された気がします。いや、確実にイメージは変わりました。

柳井社長は元々「クリエイティブディレクターなんていうものは口先ばかりで中身がない者が殆どだから信用していない」と思っていたそうですが、佐藤氏には全幅の信頼を置き、今後のユニクロのグローバル戦略を一任したそうです。

結局、そういったトップの覚悟・決断力が企業経営に於いて極めて大きな要素であることが良くわかる逸話ですね。

 

オールドユニクロの存在

若干今回の主題とは逸れるのですが、最近アメリカや東南アジアに古着の買い付けに赴く古着バイヤーの方々は、積まれた古着の山の中に昔のユニクロのシャツ等が混じっている光景をよく見かけるそうです。

色々なルートを通って、経過をたどって、海外でユニクロが古着となっている・・・。これは結構凄いことで、まるで(最近はイマイチですが)隆盛を誇った米・GAP(ギャップ)のような存在まで登ってきているという言い方ができそうです。もしかしたらその内昔のユニクロのアイテムが「オールドユニクロ」として逆輸入され人気を博すなんてこともさもありなん・・・ですね。実際、逆に程よく野暮ったかった当時のユニクロのアイテムはアメリカ大陸の各国で俄かに人気だったりするそうです。

 

まとめ

如何だったでしょうか。

ユニクロがいつから現在のような体(てい)に変化したのかについては、もっと細かく見れば沢山の分岐点や転換期があったとは思います。しかしあくまでも個人的見解が含まれてはいますが、今回ご紹介したジル・サンダーと佐藤可士和の両名がユニクロにもたらした影響は小さくなかったのではないかと感じています。

 

 

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